リマ(南米1日目)
医師国家試験を終えて、いよいよ私の卒業旅行がスタートした。
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大阪は伊丹から、成田、ダラス(アメリカ)、リマ(ペルー)と飛行機を乗り継ぎついだ。伊丹から、乗り継ぎの時間も合わせると30時間を越えている。
地球の裏側というのは本当に遠い。ブラジルでオリンピックもあるのでそろそろ直行便ができてもよいのではないかと思う。
アメリカでは乗り継ぎだけだったが、事前にESTAを取得したり空港で入国手続きをしたりと面倒であった。
アメリカの入国は少々面倒で、以前私が行ったドバイほどではないが多少は待たないとダメだし、手荷物のチェックも厳重で少しでも疑わしいものがあれば中身をチェックされてしまう。
外国人が中身をあけられてなにかぺたぺたされているのを目撃した。いったい何をチェックしているのだか。
アメリカの出入国を無事に終え、はれてリマへ到着した。旅の始まりという事もあり、アメリカへの出入国やペルーへの入国時はいちいち緊張してしまった。だが意外にもすんなりとペルーに入国できた。やっぱ日本のパスポートは強い。
ペルー入国の際飛行機で配られる入国カードをかかないとだめだが、この書き方については事前に知っておく方が良いだろう。下半分の出国カードは絶対に無くさないように!なくすと大変なことになる。例のJALのサイトがおすすめである。
リマにつくとすぐに私たち一行の旅の拠点となる当山ペンションに向かった。
ペンションに事前に送迎を予約しておいたので空港でタクシーをつかまえる労力を割かずに済んだ。当山ペンションのオーナーペペさんはとても優しい方で、日本語が話せる。ペンション周辺のレストランや治安について、そして観光地についても教えてくれた。
私はパスポートのコピーを持っていくのを忘れたのだが、コピーをただでやってくれた。
ペペさんの評価はブログなどを見るに賛否両論であったが、すばらしい人であった。
身支度をすませ、午後からタクシーで旧市街へいった。
ペルーのタクシーの乗り方は、まず流しのタクシーを呼び止める。
(白タクという自家用車に「タクシー」と書いただけの車はやめましょう。車体が黄色のタクシーがおすすめ)
そして窓越しに交渉をはじめる。
「Hola!(オラ)」とあいさつをし、
「 Quiero ir a ○○(キエロ イール ア ○○)」:○○へ行きたい
「Cuanto cuesta? (クアント クエスタ?)」:いくらですか?
と交渉する。あらかじめ相場がわかっている場合は
「○○soles, por favor(○○ソーレス ポルファヴォール)」:○○ソルでお願いします
という方が良い。目標の値まで値切れなかったらあきらめて違うタクシーに切り替えよう。
ドライバーはスペイン語しか話せないことがほとんどなので、せめて数字だけでも覚えていきたい。
ちなみに私たちは当山ペンションから旧市街まで20ソルくらい/1台でいった。ペペさんから聞いていた相場は16ソルくらいだったので少し割高。まだペルーになれていなかったので致し方ないか。これも経験。
ペルーのタクシーは狂暴ですごく荒い運転をする。ちなみに私の乗ったタクシーは速度メーターが故障していた。ガタガタゴトゴトとゆられ、サンフランシスコ教会へと到着した。。ここはかの有名なカタコンベ(地下墓地)があるところだ。
カタコンベのツアーの入口は写真の右の入り口。ツアーでないと見学できない。
料金は10soles(2016.2月現在)。
「エストゥディアンテ(学生)」といえば半額の5Soles。
英語ツアーかスペイン語ツアーか選べる。
カタコンベにはたくさんの死者の骨が保管されていて、英語ガイドはほとんどわからなかったがそれでも何かが心に響いた。もう少し英語ができたらなとすこし後悔した。
サンフランシスコ教会を後にし、アルマス広場へ歩いていく。
↑この写真はアルマス広場から見たペルー政庁。
↑下から見た景色。
↑上にはかわいい子たちがいました。
ワカ・ワヤマルカはプレインカ時代の遺跡で、現在のものは修復された姿でした。
↑遺跡の説明。
ホテルにつくと気疲れからか爆睡してしまう。
8時ころにご飯を食べに行く。メニューがスペイン語。店員もスペイン語。言葉が通じず辛かった。肉も量が多く衣だらけ。どうやら一人だけはずれの料理を引いてしまったようだ。残してしまったすみません。
ご飯の際に覚えておくべきスペイン語。
agua sin gas(アグア シンガス):炭酸なしの水
agua con gas(アグア コンガス):炭酸水
「La cuenta por favor.(ラクエンタ ポルファボール)」:お会計お願いします。
その後スーパーマーケットにより、ホテルに帰り就寝。
インカコーラの味は微妙でした。